アール・ブリュットについての考察

ふい〜っ ここんところ早起きして仕事にとりかかり、
バタバタしておりますっ ありがたいことですっ


先週(先々週?)行った「アール・ブリュット」の展示の感想を書きたくて仕事のキリの良い所で…と思っていたのですが、そんなことをしていたら仕事以外のやらなきゃな事が溜まっていくので早起きしてそれらを片付けることにしました(^^;)

それに、頭の中で考えていることは“外の空気に触れさせ”ないと発酵して腐ってくる…のです。なんだかまとまらないまま、いや〜なモノになる気がします。
作品もそういう思いが形になって出てくるようなものかな。

なので、とりあえず頭の中のとっちらかりから
ここでまとめてみようと思います。


* * *


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去年、汐留ミュージアムで開催された『アール・ブリュット/交錯する魂』に引き続き、先日観に行った『目覚めぬ夢 アール・ブリュットの表現者たち』で、2回目のアール・ブリュット作品のグループ展示を観に行きました。
あと、去年か一昨年に映画『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』を観ました。

「アール・ブリュット」とはフランス語で「生の芸術」という意味で、
英語では「アウトサイダー・アート」と呼ばれる、
フランスの画家ジャン・デュビュッフェが発案した言葉です。
(その他、「ボーダレス・アート」など色んな言われ方があるそう) 

アール・ブリュットの作者たちは、
正式な美術教育を受けず、発表する当てもないまま独自に作品を作り続け、
その多くが精神障害者、精神病患者、または刑務所などで初めて独学で制作している人達です。
そのため、“孤独の内に生まれる作品たち”だと言われます。

去年の展示での感想を日記ではこう書いていますが、
今回の展示では、毒気に当てられたように観た後にぐったりしてしまいました。。
そっかぁ、これもアール.ブリュットなのね…


もとは、田口ランディさんのブログや本で知ったのだと思いますが、
あらためて私ってば興味あるのねぇと思います(笑)

何が面白いかというと、作品を見ることで「自分が問われる」感覚です。
(またマゾっぽいかと思われるかもしれませんがw)
こんなふうに誰かの作品を観て、自分の観ている世界が問われる、
自分の描いている世界が問われる展示はないなぁ…と思うのです。

ひょいっといとも簡単に、こっちの世界からあっちの世界へ行ってしまう人達の作品は、
恐ろしいような、あこがれるような、不思議な気持ちになります。

そのとこっちあっちの世界の事をランディさんは、
『此岸(しがん)』と『彼岸(ひがん)』と書いています。

彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のこと。
未来学者アーヴィン・ラズロ博士のいう「Aフィールド(叡智の海)」であり、
オーストラリアの原住民アボリジニが「ドリームタイム」と呼んだもの。

日本でのお彼岸では、ご先祖さまの霊を迎え火でお迎えし、
その乗り物としてキュウリやナスで家畜を模して作り、
ぼんぼりに明かりを灯してご先祖さまと一緒に過ごし、お墓参りをし、
送り火でお送りしますよね。

今はマンション暮らしだったりしてやっているご家庭も少ないかと思いますが、
家も小さい頃は一通りの行事を家族でやっていました。
野菜と割り箸で動物を作るのが楽しかったな。

決してスピリチュアルな世界ではなく、
ごくごく自然に世界中の人達の生活の中にあるそういった世界と、
昔から私たちはおつき合いして生きてきたんですね。

アール・ブリュットの作者たちのように精神を病んだ人達は、
此岸と彼岸の境目が淡く、否応なく受け入れて生きているのでしょうか。

それを言うのなら、その境目には何があるのでしょうか。
人が人として此岸にとどまっていられるのはどうしてだろう?

ランディさんは本の中で、北海道の「浦河べてるの会」の方達とふれあう中で、
総合失調症の人の意識は望むと望まぬとに関わらず環境と連続している、
世界と人間との間がない…と言っていました。
そしてそれは、多くの宗教家が望む「無我」の境地でもあるのだと。

今回の展示を観て不思議に思ったのですが、
去年の展示ではとても愛らしさを感じ楽〜な気持ちで見れたのですが、
今回は完全にパワー負けしてしまいました…

それがとても不思議で、なんでだろう…と先週ぼんやり考えながら、
ランディさんの本を読んだりしていて、
「我欲」という言葉にぶつかりました。

精神の病に詳しくないのですが、
その病気の種類によっても世界とのつながり方が違うのかもしれない。
自分と深く繋がって、我欲を追求し尽くす人もいれば、
自分をこえた何かを表現する人もいるのかもしれない。

それはなにもアール・ブリュットに限ったことではなく、
私たち此岸にいるクリエイターが作るものも同様だ。

そうやって作品を見るから、自分が問われるような感覚になるんだなぁ。

私の作る原動力ってなんだろう…?
我欲から湧き出るもの?それとも何かからのインスピレーション?

完全なるオリジナルを作る時、それは色んな切っ掛けがあって、
例えば、新しい画材や材料を使ってみたいとか、
新しい構図を試してみたいとか細かいことは色々あるけれど。

この間の個展の時のように「作らなきゃ!」と強く感じるテーマは、
日々の中で感じていること、
心の奥底で言葉にならないけど大切だなとモヤモヤ思っていることが、
何かを見たり聞いたり読んだりしたものにインスピレーションを
もらって、ビジュアルとして形になったときに、
あぁ、これは体の外に出さなくちゃならないっ!!

と必要に迫られて体が動くって感じかな…?

作りながら、手の動きが気持ち良いように動くのにまかせたり、
色と色が気持ち良いように心に「OK」が出るまで迷ったり、
最終的にはやっぱりなんとなく、感覚でOKが出せる形になれば良し。

きっかけや方法は我欲に動かされているのかもしれないけど、
なぜか「やらなきゃ!」と迫られたり、OKを出す自分は、
なんでと聞かれても上手く説明ができないし、
自分の力だけでは完成まで仕上げられたのかどうか分からないし、
自分以外の誰かや何かが手伝ってくれているような、
やらされているような気もするし良く分からないなぁ…

作品を仕上げる労力って、とてつもないパワーを必要とするから、
何かを作り出すことって、やっぱり自分の力だけでは足りないような気がします。

それとも、そもそも人間にはとてつもない力が潜在しているのか…
だとしても、此岸にいる私たちは意識や常識で強固なダムを作っているので、
その力に触れるのは容易いことではないでしょう。

それは、人間の脳の仕組みの問題かもしれないし、
人の心や精神の問題かもしれないけれど、
アール・ブリュットの作品たちを見ていると、
そのとてつもないパワーに触れることができます。

何千枚も同じような絵を描いたり、
世界の再構築をするために方眼紙を埋め尽くしたり、
一部から描き始めた街が何メートルにも継ぎ足して大きな絵になったり、
厚さ10cm以上にもなる、絵のような文字の日記を書いたり.....etc.

日々の集中力のなさに悩む凡人には、
非常にうらまやしくもなるのです。。。




なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、
とりあえずちょっとスッキリしました(^^;)
最後までおつき合いいただいた方、お疲れさまでした(U v U)

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by tomokuro-55 | 2009-08-03 10:27 | 観る・歩く | Trackback
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