六ヶ所村ラプソディ

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昨日は、残念ながらの雨の中、武蔵野美術大学の学園祭に行くがてら、国分寺の駅ビルの小さなホールで上映していた『六ヶ所村ラプソディ』という映画を観てきました。

青森県六ヶ所村に建設された、核燃料廃棄物からプルトニウムを取り出す再処理工場とそこに住む人達のドキュメンタリー映画です。監督の鎌仲ひとみさんという方が、マイクとカメラを持って取材したフィルムをまとめた作品。

本当にこういう情報って、自分自ら「知ろう」と思わないと
知らない事ばかりなんですね...
情報に溢れた世の中だというけど、世の中には誰かの都合の良い情報で溢れていて、
その善悪を判断するのは自分のココロなんだなぁ…と改めて感じます。

映画を観て、複雑な事情がからみあって、
一概に「原発反対!」と叫べない気持ちにもなります。
例え、その場限りでも、そこに住む人達に仕事が与えられるからです。
そして膨大なエネルギーを必要とされている日本の電力を支えている。
守るべき家族のために、お父さんは仕事をしなければなりません。
でも、例えどんなに防護服を着て、放射線測定器を付けて仕事をしても、そこで働く人達は通常の何倍もの放射線を浴びて、再処理工場が稼動し始めたら、処理する時に出る煙りが煙突から空へ吐き出されて、汚染された水が海に流されます。
微量でも、それは通常の何倍にもなる。そこで子供達は育ちます。

海外では、フランスとイギリスで再処理工場があって、イギリスのセラフィールドの工場では事故があり近年中に閉鎖するそうです。そこから50kmほど離れた島の漁師さんが、「奇形のエビやカニや魚が当たり前にいた」と話していて、ショッキングでした。

「プルトニウム」というものが、少量で膨大なエネルギーを作り出す夢の燃料で、でもそれが人体に猛毒だ…ということは知っているけど、実際どんな形でどんな匂いがするものなのか、私たちは知りません。
専門科の人達も、実際にやってみてどうなるのか、安全網を張りながら試していくしかないと言ってるくらい。
だから、もや〜っとしか想像することができない。
だから、どんなに恐い物なのかも分からない…。

だけど、何となくこの世の中に歪みを感じる、この感覚はなんだろう?
日本の電力の3分の1は、原発でまかなわれています。
今こうやって、パソコンで文章を書いているのだって電気を使っている。
でも、今の生活が正しいとも思わない。
そんなに沢山の電力が本当に必要なのかな。

私の体の中で起こっている事も、そう。
時々、自分の中でのバランスがひどく崩れてしまうことがあって、
世の中も自分の体の中と同じなんじゃいかと感じるんです。
必要以上のモノ。でも必要じゃないもの。バランスが崩れているってこと。
その失ったバランスを取り戻そうと、不安を感じながら手探りで生きてる。

* * *

六ヶ所村で再処理工場反対運動をしている人達。
生活を支えるために、やむなく賛成している人達。
原発に関しては、“中立”という立場はないと言っていました。
何もしないということは、賛成と同じ事だと。

だとしたら、やっぱり私は反対なんだなぁ。と思って、
だとしたら少しでも何かをしなくちゃ。
電力の3分の1が原発だとしたら、できるだけ電気を節約したり。
それにやっぱり「知る」ことが大切だと思う。

それにやっぱり、それを楽しい事に変換していくこと。
人は楽しい事じゃないと動かない。(これ鉄則w)

原発なんかに頼らなくても、仕事を求める人達がいるのなら「人間」っていうエネルギーがあるんじゃないのかな?人が働いて、働いただけのエネルギーで生活するのは不可能なこと?そのエネルギー循環のバランスが、そもそも崩れているのかも。

働いて、それが誰かの役にたって、感謝され、代価をいただき、嬉しくて良い物をまた提供したくなる。
そんな素敵な循環ができる社会になればいいなぁ。
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by tomokuro-55 | 2007-10-27 06:56 | 私にできるエコ | Trackback
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