美しいもの と 思い出

この間、自転車で5分の図書館で借りてきた4册の本の中に、
『うくくしいもの』(赤木明登:著)と『クリエーター50人が語る創造の原点』(小原啓渡:著)という本がありました。

『クリエーター50人が語る創造の原点』は今、読み途中なのだけど、
この2册を読んでると色々な人が、それぞれの運命に導かれて創っているんだなぁ…と
勇気づけられ、心が暖かくなります。

あぁ、私も“もの創り”という、厳しくも暖かな世界に身も心も浸りたい…
という気持ちにムクムクなります。
強くて、儚くて、美しい、心震える“創る”という世界。
自分もそんな風に生きたいと思って、背筋を伸ばしてみたくなりました。

『美しいもの』の中では、器を創る人、洋服を創る人、音楽を奏でる人、お食事でおもてなしする人、ギャラリーに空間を創る人、色々な方と著者の赤木さんとの対話が書かれていて、その中で“自然”を尊敬し、自然の中に“美しさ”を見い出す方が沢山おられました。

「自然にあるものは美しい」

その言葉を聞くと、いつも思い出す事があります。
もう10年も前の桑沢デザイン専門学校に通っていた頃の事。
とあるコラージュの授業での事です。

その頃の私は“コラージュ”という観念を理解していなかったので、
この授業は初め、どこから取りかかっていいのかさっぱり分からないものでした。
例えば、A3のケント紙という空間に、雑誌の切れっぱしと段ボールの切れっぱしを置いて、その中で美しいバランスを感じ探す。それがコラージュの授業でした。
その美しさの“バランス”という概念が私は最初分からなくて…。
私にとって美しいものとは、女性の横顔だったり、花だったり、鳥だったり、
そういう対象物であり、その形でした。
基本的に、今もその感覚は変わらないかもしれないけど、その授業で、バランスの美しさ、素材の美しさ。
「人工物の美しさ」という感覚を学びました。

その授業の担当講師は、タバコをダース買いしてきて、授業を遅れてくるようなざっくばらんな男性で、机に腰掛けイスに足を上げて、タバコをふかしながら作品を見てくれます。(校内は禁煙だったんじゃないかなぁ…)

そんな風貌だったので、私は少し先生の事が恐い人だと思っていたのですが、
ある日、勇気を出して聞いてみました。
なぜ、自分の作る、女性や花や自然の物を型取ったコラージュではダメなのかと。

先生はこんな感じに答えてくれました。

「自然のモノは、それだけで完全に美しいんだよ。
 だから、それをコラージュで表現しても自然の物にはかなわない。」

『自然の美しさにはかなわない』

それを十分に理解した上で、人工の表現方法で美しさを目指す。
もやもやしながらも、私は授業の中でだんだんとそれを感じとっていきました。
花をまねするのではなく、“美しい”と感じる感覚だけで、色々な色、色々な素材を組み合わせてゆく作業は楽しいものになって、授業のある期間の後半には1回の授業に3点以上も違うものを作って持っていったりしました。

先生は、卒業して数年後、タバコの酸い過ぎのせいか、病気で無くなられたと風の頼りに聞きました。
今、先生の名前も忘れてしまったけれど、今でもなお、気づき、学び続ける事ができる大切な事を教えてもらったのだと、10年後の今もじわじわと感じます。

自然の物にはかなわないけれど、それに憧れ、
絶えず作ってゆく人間って愛らしい生き物だなぁ。。
そして、そんな人達が日本にも世界にも沢山いるんだ…と、
本に出てきた人達に会った事はないけれど、
何だか勇気がでることだと思いました。
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by tomokuro-55 | 2008-02-22 16:53 | 作る・創る | Trackback
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